サイダーハウス・ルール
ルールを破ったら絶対に許されない場合がある一方で、ルールを破ることで目の前にいる人の不幸を救う場合もある。この作品はまさにルールに対して一石を投じた感動作だが、孤児院の子供たちの笑顔とともに穏やかに展開するストーリーは実に温かい。
心を豊かにする感動映画第50弾
この映画は叙情詩のような美しい映像の中でストーリー全体が暖かな微笑みと悲しい涙で包み込まれ、ホーマーと孤児院の子供たちの笑顔とともに静かに、穏やかに展開していきます。まるで眠る前に子供たちが絵本を読んでもらっているかのように…。孤児たちにはいたたまれない気持ちにもなるのですが、観終わった後に心が温かくなるのはなぜだろう。
「ルールは破られるためにある」。誰でも耳にしたことがあると思う。ルールに従う者からすれば、ルールを破る者に強烈な嫌悪感を抱いてしまう言葉だろう。間違いなくルールは守られるためにこそあるのであり、破るという行為はおよそ許されないのが原則だ。
だが、世の中にはルールを破ったら絶対に許されない場合がある一方で、ルールを破った方がより優れた結果を望める場合がある。その判断は非常に困難なことではあるが、生命に関わることとなれば、ルールを破ってでもそれを優先するのが本来の人間のあるべき姿であろうと思う。「ルールは破られるためにある。」という言葉はそんな意味合いを示唆しているのであり、決して自分に都合のよい解釈をした言葉ではないのです。孤児院以外の世界を知らないで育った孤児の主人公ホーマーは、そんなルールの真意を理解できないままに初めて外の世界に旅立ったのです。
取り上げられているテーマは複雑で深いのですが、それが実に温かいのです。ルールというものを人間を観る温かい視点から捉えているからだと思う。ルールを守るにしても、破るにしても、その先に相手に対する思いやりの気持ちがあり、しっかりと自分を見つめることの大切さをも含んだ視点に立って描いているのです。
ホーマーは、やがて社会のルールは必ずしも完璧なものではなく、それによって却って不幸になってしまう場合があることを知ります。この映画は与えられたルールではなくて、目の前にいる不幸な人を救う自分のルールを持って行動することの大切さを伝えたかったのでしょう。
アメリカ中に中絶論争を巻き起こした映画
この作品はまさにルールに対して一石を投じた大傑作。世界中で大ヒットし、アメリカ中に中絶論争を巻き起こしました。中絶手術・堕胎が良いことなのか悪いことなのか、その行為自体は決して良いはずがありません。しかし、救われなかった命を代償としてその行為の結果で救われる人間がいることも事実であり、親に望まれずに生まれた孤児はもっと救われないのも真実です。
どんなルールであっても、結局は傷ついて犠牲になるのは女性と子供。舞台となる孤児院のラーチ院長は望まれない妊娠をした女性たちを救うために当時は違法である堕胎を施し、また望まれずに産まれた子供達を引き取って育てているのです。彼はとことん女性の意思を尊重したのです。
本来であれば、出産することが望まれない胎児をどうしようと考えるよりは、出産することが大きな障害を持つものであれば妊娠しないこと。私たち大人が、そのためにはどうすれば良いかということをしっかりと教育を施すべきなのだろう。だが、現実はこの問題はまだまだ続く…。
孤児院以外の世界での新しい体験から成長していく孤児ホーマー
作者が描きたかったのは、中絶の是非や、宗教の問題ではなく、目の前にある現実に立ち向かった一人の孤児ホーマーの生き様ではないかとも思う。外の世界で新しい体験をして更に成長していく彼の姿にとても清々しい感動を抱きます。
主人公ホーマー・ウェルズも望まれない子供として孤児院で生まれ、ラーチ院長の愛を受けて純粋で心優しい青年に成長しました。「人の役に立つ存在になれ」という言い付けを叩きこまれ、哀しい現実を受け止めながらも、医術も教わってラーチ院長を手伝うのです。だが、成長するにつれて、ルールを破ってでも、堕胎を通して「人の役に立つ」ことへの反発が生じます。やがて医者として生きることに疑問を持ち始めた彼は、ある日、堕胎のために訪れた若いカップルと共に孤児院から旅立つのです。
ラーチ院長に愛されている事も、必要とされている事も知っています。だが、孤児院以外の世界を全く知らない彼は、孤児院で見てきた子供達の成長をただ見つめるだけでなく、外の世界に触れることで自分の成長に何か希望的なものを求めたかったのでしょう。本当の自分の場所はどこにあるのだろう…と。
ルールの本当の意味を知ったホーマー
孤児院の外の世界は魅力的で、初めて見た海、ドライブイン・シアター、そして初恋。りんご農園で季節労働者とともに働き、新しい生活と人々との出会いの中で様々な経験をし、世の中の様々な問題も知ることになる。そんな彼が過ごした労働者の粗末な宿舎、それが“サイダーハウス”。そこには壁に貼られた規則があった。しかし、それは住んだことのない者が作った何の役にも立たない規則。サイダーハウスにはサイダーハウスに住む者が必要とする規則が必要なのだが…。
今度は世間のルールで社会を知ったが、ルールという決め事では何も定まらないと理解した彼は、ルールは与えられるのではなくて自分自身で決めることだと覚ったのです。それは、望まれない妊娠をした女性のために法というルールを犯しても中絶手術を施す医師ラーチ院長の信念、すなわち彼自身のルールと重なるものでした。
ある日、季節労働者の棟梁の娘が、父親である棟梁の子供を身籠っていることが発覚します。事件に直面したホーマーがやむを得ず堕胎をしなければ幸せになれない人もいるという現実を受け入れた時、壁に貼ってあった規則を焼却炉で燃やし、あれほど否定していた堕胎を行う決意をしたのです。
初恋との別れ、そして自分の場所へ
キャンディとの初恋。彼女のフィアンセは出征中で罪悪感に駆られながらも愛し合います。しかし、フィアンセが半身不随となって帰ってくることになるが、このまま成り行きを見ましょうと言う彼女。だが、何もしないで待つことは問題を先延ばしにすることであり、それは自分の将来も成り行きに任せて先延ばすことと同じ。人生の方向を変えるであろう決断に迫られた時、ホーマーはようやく自分の過去から逃れることは出来ないことに気づくのです。孤児である彼にも、自分を導いてくれていた父親たるラーチ院長と自分を迎え入れてくれる家族たる孤児院”がある。甘酸っぱい恋との別れ、そして自分の居るべき家へ帰還するのです。
一つの旅を終えたホーマーの笑顔は、孤児院を出た時とは別の人間になって戻ってきたことを物語っているようです。彼の心に訪れた変化は人生との和解だったのかもしれません。
セント・クラウズの孤児院
アメリカの最北東メイン州の人里離れた雪深い村にある孤児院。恵まれた環境とはいえない中で我慢の多い生活を強いられてはいるのですが、子供たちをメインの王子、ニューイングランドの王と呼び、自分の子供のように愛するラーチ先生がいた。孤児たちは、自分を貰って欲しくて、養子探しの人たちが来るたびに一生懸命笑顔を作る。「誰も僕を望まないの?」という少年の言葉にはただただ涙が溢れてしまいます。
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心を豊かにする感動映画第50弾
この映画は叙情詩のような美しい映像の中でストーリー全体が暖かな微笑みと悲しい涙で包み込まれ、ホーマーと孤児院の子供たちの笑顔とともに静かに、穏やかに展開していきます。まるで眠る前に子供たちが絵本を読んでもらっているかのように…。孤児たちにはいたたまれない気持ちにもなるのですが、観終わった後に心が温かくなるのはなぜだろう。 「ルールは破られるためにある」。誰でも耳にしたことがあると思う。ルールに従う者からすれば、ルールを破る者に強烈な嫌悪感を抱いてしまう言葉だろう。間違いなくルールは守られるためにこそあるのであり、破るという行為はおよそ許されないのが原則だ。
だが、世の中にはルールを破ったら絶対に許されない場合がある一方で、ルールを破った方がより優れた結果を望める場合がある。その判断は非常に困難なことではあるが、生命に関わることとなれば、ルールを破ってでもそれを優先するのが本来の人間のあるべき姿であろうと思う。「ルールは破られるためにある。」という言葉はそんな意味合いを示唆しているのであり、決して自分に都合のよい解釈をした言葉ではないのです。孤児院以外の世界を知らないで育った孤児の主人公ホーマーは、そんなルールの真意を理解できないままに初めて外の世界に旅立ったのです。
取り上げられているテーマは複雑で深いのですが、それが実に温かいのです。ルールというものを人間を観る温かい視点から捉えているからだと思う。ルールを守るにしても、破るにしても、その先に相手に対する思いやりの気持ちがあり、しっかりと自分を見つめることの大切さをも含んだ視点に立って描いているのです。
ホーマーは、やがて社会のルールは必ずしも完璧なものではなく、それによって却って不幸になってしまう場合があることを知ります。この映画は与えられたルールではなくて、目の前にいる不幸な人を救う自分のルールを持って行動することの大切さを伝えたかったのでしょう。
この作品はまさにルールに対して一石を投じた大傑作。世界中で大ヒットし、アメリカ中に中絶論争を巻き起こしました。中絶手術・堕胎が良いことなのか悪いことなのか、その行為自体は決して良いはずがありません。しかし、救われなかった命を代償としてその行為の結果で救われる人間がいることも事実であり、親に望まれずに生まれた孤児はもっと救われないのも真実です。 どんなルールであっても、結局は傷ついて犠牲になるのは女性と子供。舞台となる孤児院のラーチ院長は望まれない妊娠をした女性たちを救うために当時は違法である堕胎を施し、また望まれずに産まれた子供達を引き取って育てているのです。彼はとことん女性の意思を尊重したのです。
本来であれば、出産することが望まれない胎児をどうしようと考えるよりは、出産することが大きな障害を持つものであれば妊娠しないこと。私たち大人が、そのためにはどうすれば良いかということをしっかりと教育を施すべきなのだろう。だが、現実はこの問題はまだまだ続く…。
作者が描きたかったのは、中絶の是非や、宗教の問題ではなく、目の前にある現実に立ち向かった一人の孤児ホーマーの生き様ではないかとも思う。外の世界で新しい体験をして更に成長していく彼の姿にとても清々しい感動を抱きます。 主人公ホーマー・ウェルズも望まれない子供として孤児院で生まれ、ラーチ院長の愛を受けて純粋で心優しい青年に成長しました。「人の役に立つ存在になれ」という言い付けを叩きこまれ、哀しい現実を受け止めながらも、医術も教わってラーチ院長を手伝うのです。だが、成長するにつれて、ルールを破ってでも、堕胎を通して「人の役に立つ」ことへの反発が生じます。やがて医者として生きることに疑問を持ち始めた彼は、ある日、堕胎のために訪れた若いカップルと共に孤児院から旅立つのです。
ラーチ院長に愛されている事も、必要とされている事も知っています。だが、孤児院以外の世界を全く知らない彼は、孤児院で見てきた子供達の成長をただ見つめるだけでなく、外の世界に触れることで自分の成長に何か希望的なものを求めたかったのでしょう。本当の自分の場所はどこにあるのだろう…と。
孤児院の外の世界は魅力的で、初めて見た海、ドライブイン・シアター、そして初恋。りんご農園で季節労働者とともに働き、新しい生活と人々との出会いの中で様々な経験をし、世の中の様々な問題も知ることになる。そんな彼が過ごした労働者の粗末な宿舎、それが“サイダーハウス”。そこには壁に貼られた規則があった。しかし、それは住んだことのない者が作った何の役にも立たない規則。サイダーハウスにはサイダーハウスに住む者が必要とする規則が必要なのだが…。 今度は世間のルールで社会を知ったが、ルールという決め事では何も定まらないと理解した彼は、ルールは与えられるのではなくて自分自身で決めることだと覚ったのです。それは、望まれない妊娠をした女性のために法というルールを犯しても中絶手術を施す医師ラーチ院長の信念、すなわち彼自身のルールと重なるものでした。
ある日、季節労働者の棟梁の娘が、父親である棟梁の子供を身籠っていることが発覚します。事件に直面したホーマーがやむを得ず堕胎をしなければ幸せになれない人もいるという現実を受け入れた時、壁に貼ってあった規則を焼却炉で燃やし、あれほど否定していた堕胎を行う決意をしたのです。
キャンディとの初恋。彼女のフィアンセは出征中で罪悪感に駆られながらも愛し合います。しかし、フィアンセが半身不随となって帰ってくることになるが、このまま成り行きを見ましょうと言う彼女。だが、何もしないで待つことは問題を先延ばしにすることであり、それは自分の将来も成り行きに任せて先延ばすことと同じ。人生の方向を変えるであろう決断に迫られた時、ホーマーはようやく自分の過去から逃れることは出来ないことに気づくのです。孤児である彼にも、自分を導いてくれていた父親たるラーチ院長と自分を迎え入れてくれる家族たる孤児院”がある。甘酸っぱい恋との別れ、そして自分の居るべき家へ帰還するのです。 一つの旅を終えたホーマーの笑顔は、孤児院を出た時とは別の人間になって戻ってきたことを物語っているようです。彼の心に訪れた変化は人生との和解だったのかもしれません。
アメリカの最北東メイン州の人里離れた雪深い村にある孤児院。恵まれた環境とはいえない中で我慢の多い生活を強いられてはいるのですが、子供たちをメインの王子、ニューイングランドの王と呼び、自分の子供のように愛するラーチ先生がいた。孤児たちは、自分を貰って欲しくて、養子探しの人たちが来るたびに一生懸命笑顔を作る。「誰も僕を望まないの?」という少年の言葉にはただただ涙が溢れてしまいます。
| Staff & Cast |
- 原 題 : THE CIDER HOUSE RULES
- 制 作 : 1999年 / アメリカ
- 監 督 : ラッセ・ハルストレム
- 脚 本 : ジョン・アーヴィング
- 原 作 : ジョン・アーヴィング『サイダーハウス・ルール』
- 音 楽 : レイチェル・ポートマン
- 撮 影 : オリヴァー・ステイプルトン
- 出 演 : トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、マイケル・ケイン、デルロイ・リンドー
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