ウォルター少年と、夏の休日
この映画は大好きで何度も観賞しているが、間違いなく感受性豊かな少年たちが学ぶべき大切なものが沢山詰まっている。アメリカの映画専門誌で、本作が「スクリーンで観たい脚本第1位」となったことに十分頷けます。少々長い文章になってしまったが、最後まで読んで頂けたら嬉しい。
Review & Outline
この映画の命題の一つは「少年は一体何から学んでいくのか」ということだろう。感受性の豊かな少年には何よりも勇敢さを育むような刺激を与えてやることが大切なのだが、今は大人たちから刺激的な経験話を聞いたり、一緒に野山で自然と戯れたりすることも少なくなり、そんな学習を通して体験することが殆どない。生き方のお手本を示すようなものが少なく、ある意味、今の日本の少年たちは不幸なのかも知れない。
映画で言えば、時にハリー・ポッターなどの映画が子供たちの冒険心を掻き立ててその夢の世界を広げることはあっても、人間を深く観察する経験にはなっていないだろう。その点、この映画『ウォルター少年と、夏の休日』は、生きること、人として大切なもの、さらに本物の男とは・・、などを考えるきっかけになると確信する。この映画を通して、時には文頭に掲げた命題を子供と一緒に多いに議論するのもいいと思う。
1960年代初頭のテキサス。父親のいない14歳のウォルターは、夏休みの間、母親の身勝手な都合で伯父である老兄妹の家に預けられる。そこは電話もテレビもない田舎の古びた家。あるのは広い大地と無愛想の伯父たち二人、そして6匹の動物だけだった。ウォルターにとっては悲惨な状況だが、伯父たちから
ウォルターは伯父たち二人から多くのことを学んで次第に世界への扉を開く勇気を手にして行くが、中盤で教えを請うウォルターにハヴ伯父さんが答えた台詞は今も心に残る。
その伯父さんたち二人は静かであるのだが、ショットガンをぶっ放して欲の皮の突っ張ったセールスマンを追い返してしまうような豪放に振る舞う老兄妹である。彼らは、街で横柄な態度をとる不良の若者を素手でノックアウトしてしまうほどに腕っ節も強い。その上、そんな連中を説教して更正させてしまう。さらに、裏の池で釣りをすると言っても、竿など使わず、直接ショットガンをブッ放して魚を撃ってしまうのだから、実に痛快で格好いい。それだけでも楽しくなるが、さすがに老年期になった彼らは、かつての体力も衰え、役立たずになることを恐れていた。
原題の「Secondhand Lions」は中古のライオン、つまり老いぼれた伯父たち二人のことを指す。彼らは驚くことに本物の老いぼれライオンを買う。ジャスミンと名付けられたライオンは老いて動物園から払い下げられたのだが、人間に捕らわれるまではサバンナの王者として他の動物を狩り、命がけで可愛い子供たちを一人前になるまで守り育てたことであろう。伯父たちはそんなライオンのようだった。
愛するものを守る自信と誇りに満ちた姿は勇ましく、伯父たちも、他者に媚びず、毅然とした恐れを知らない強い生き方でウォルターを逞しく成長させたことは間違いない。伯父たちも、むしろウォルターと出会ったことで、老人になってもかつての気概さえ失わなければ自分たちの信念に沿った生き方がまだ出来ると確信したはずだ。老人だからと甘えようともせず、長生きしようと悪足掻きもしない潔さが眩しい。私も年老いたら、こんな生き方をしたいと心から思う。
別れの日、ウォルターは何を信じて生きるべきか、生まれて初めて男の決断を下す。それは母親との生活ではなかった。伯父たち二人の生き様こそ本物であり、信じることができると確信したウォルターは、伯父の元へ戻り、新しい人生を始めるのです。戻るに当ってウォルターが伯父たちに突き付けた条件が面白く、ある意味、感動的でもある。伯父たちはさぞかし嬉しかっただろう。無気力に傾きかけた日々にウォルターは新しい風を吹き込んでくれたのだから・・。まだまだ長生きできると・・。
Review & Outline
この映画の命題の一つは「少年は一体何から学んでいくのか」ということだろう。感受性の豊かな少年には何よりも勇敢さを育むような刺激を与えてやることが大切なのだが、今は大人たちから刺激的な経験話を聞いたり、一緒に野山で自然と戯れたりすることも少なくなり、そんな学習を通して体験することが殆どない。生き方のお手本を示すようなものが少なく、ある意味、今の日本の少年たちは不幸なのかも知れない。 映画で言えば、時にハリー・ポッターなどの映画が子供たちの冒険心を掻き立ててその夢の世界を広げることはあっても、人間を深く観察する経験にはなっていないだろう。その点、この映画『ウォルター少年と、夏の休日』は、生きること、人として大切なもの、さらに本物の男とは・・、などを考えるきっかけになると確信する。この映画を通して、時には文頭に掲げた命題を子供と一緒に多いに議論するのもいいと思う。
1960年代初頭のテキサス。父親のいない14歳のウォルターは、夏休みの間、母親の身勝手な都合で伯父である老兄妹の家に預けられる。そこは電話もテレビもない田舎の古びた家。あるのは広い大地と無愛想の伯父たち二人、そして6匹の動物だけだった。ウォルターにとっては悲惨な状況だが、伯父たちから
「必要なものがあれば自分で見つけるか、それなしで済ませろ」
と圧倒的なまでの言葉を浴びせられ、早速、現代の子供たちに必要な場面が登場する。信じるものがなく、「どう大人になっていけば良いのか」がわからない孤独なウォルター少年に、ひとりででも生きて行こういう気概を持てそうな暮らしが始まった。 ウォルターは伯父たち二人から多くのことを学んで次第に世界への扉を開く勇気を手にして行くが、中盤で教えを請うウォルターにハヴ伯父さんが答えた台詞は今も心に残る。
「曖昧で、時として嘘臭くとも、それでも尚、信じるべきものが人にはある。
例えば、人間の良心、誇り高く勇敢であることの素晴らしさ、金や権力など何の意味もないということ、
善は悪に勝つという道理・・、そして愛。真実の愛は決して滅びない・・。
忘れるなよ。大事なのは、それが本当なのかどうかじゃなく、そうだと信じて生きていくことだ。
そう信じるだけの価値はある。」
残念ながら、今の世は我欲に走り、こういった道徳の教科書に出てくるような当たり前の教えが当たり前ではなくなっているように思えて仕方がない。人は勇気を出して行動したことで自分が傷ついたり、不利益を被ったりすることは確かにある。だが、それをわかっていても、敢えて正しいことを行おうとする高貴さにこそ人間の偉大さがあるのであり、勇気を出さずに自分の弱さばかりを露呈して悔やむよりは遥かに尊い。他の者から信頼も得て、人生を好転させるに違いない。この台詞はウォルターだけでなく、私たち大人に向けたメッセージでもあるのかも知れない。私も少々心が痛んでしまうが、ハヴ伯父さんの言葉にしっかりと心を傾けたい。自分の信じる道を辿り、そして責任を持って勇敢に生きると・・。こんな伯父たちに出会えたウォルターは幸せだとつくづく思う。 例えば、人間の良心、誇り高く勇敢であることの素晴らしさ、金や権力など何の意味もないということ、
善は悪に勝つという道理・・、そして愛。真実の愛は決して滅びない・・。
忘れるなよ。大事なのは、それが本当なのかどうかじゃなく、そうだと信じて生きていくことだ。
そう信じるだけの価値はある。」
その伯父さんたち二人は静かであるのだが、ショットガンをぶっ放して欲の皮の突っ張ったセールスマンを追い返してしまうような豪放に振る舞う老兄妹である。彼らは、街で横柄な態度をとる不良の若者を素手でノックアウトしてしまうほどに腕っ節も強い。その上、そんな連中を説教して更正させてしまう。さらに、裏の池で釣りをすると言っても、竿など使わず、直接ショットガンをブッ放して魚を撃ってしまうのだから、実に痛快で格好いい。それだけでも楽しくなるが、さすがに老年期になった彼らは、かつての体力も衰え、役立たずになることを恐れていた。 原題の「Secondhand Lions」は中古のライオン、つまり老いぼれた伯父たち二人のことを指す。彼らは驚くことに本物の老いぼれライオンを買う。ジャスミンと名付けられたライオンは老いて動物園から払い下げられたのだが、人間に捕らわれるまではサバンナの王者として他の動物を狩り、命がけで可愛い子供たちを一人前になるまで守り育てたことであろう。伯父たちはそんなライオンのようだった。
愛するものを守る自信と誇りに満ちた姿は勇ましく、伯父たちも、他者に媚びず、毅然とした恐れを知らない強い生き方でウォルターを逞しく成長させたことは間違いない。伯父たちも、むしろウォルターと出会ったことで、老人になってもかつての気概さえ失わなければ自分たちの信念に沿った生き方がまだ出来ると確信したはずだ。老人だからと甘えようともせず、長生きしようと悪足掻きもしない潔さが眩しい。私も年老いたら、こんな生き方をしたいと心から思う。 別れの日、ウォルターは何を信じて生きるべきか、生まれて初めて男の決断を下す。それは母親との生活ではなかった。伯父たち二人の生き様こそ本物であり、信じることができると確信したウォルターは、伯父の元へ戻り、新しい人生を始めるのです。戻るに当ってウォルターが伯父たちに突き付けた条件が面白く、ある意味、感動的でもある。伯父たちはさぞかし嬉しかっただろう。無気力に傾きかけた日々にウォルターは新しい風を吹き込んでくれたのだから・・。まだまだ長生きできると・・。
未婚の母とその娘の愛情を描いた作品。全体が優しさや暖かさで包まれ、娘を想う気持ちが丁寧に描かれている。女一人で涙ぐましい愛情を注ぎながら、娘を立派に育て上げた母親ステラ。人生の目標が”娘の幸せな顔を見ること”であるステラは、そのためならどんな苦労も厭わず、笑顔で乗り切るのです。
老夫婦と娘家族を描いた感動の大作です。そこには、古き良き時代の日本の家族には当たり前のようにあった家族の繋がりや情の世界があります。妻で母親の役を演じるキャサリーン・ヘップバーンが、余命幾ばくもない心臓病の夫を献身的に支え、父娘との微妙な関係、そして孫を温かい愛情で包み込んでいる。家族を愛して止まない母親の気品ある凛とした姿が実に美しいのです。ニューイングランドの別荘で過ごすひと夏の物語。当に人生の黄昏の物語ですが、家族を愛する母親の眼を通して、生きることや老いること、そして死ぬことの意味合いをきめ細かく描いています。心に響く名作です。
幼い頃、私はいつも自慢話や大袈裟な話をする父親が嫌いだった。考えてみれば、そんな些細なことからいつの間にか父親に嫌悪感を抱くようになったような気がする。大概の男性は父親との意見の相違や対立、そして心の葛藤を経験するものだと思う。息子が父親に描くあるべき姿あるいは望む姿と現実の父親の姿との間に大きな隔たりを感じると嫌悪感を抱き、一方の父親もその理由を理解できずに苛立ちを覚えて混迷してしまうと、その関係はなかなか修復出来るものではない。要因は人それぞれであるのだが、それでも互いに心配もし、愛情も失ってはいないのだ。
父親エドワードはどこまでもファンタジックな要素を盛り込んで自分の経験話をする。ある時はお伽噺のようであり、ある時は神話のようであり、大法螺にも取れる夢物語のようでもある。空想の世界にいざない、魅了させる父親を周りの者みんなが愛していた。
そんなある日、母親サンドラから患っていた父親の容態が悪化したとの知らせが入り、ウィルは出産間近の妻ジョセフィーンと共に実家へと向かった。父親は一日の殆どを病床で過ごしながらも、相変わらず経験話を語っている。妻はサンドラとの恋愛話を聞かされ、そのロマンティックで夢のような話に心を打たれた。だが、ウィルはそんな話は事実ではなくて法螺話だと苛立ち、本当の父親を知りたいと願う心の溝はなかなか埋まらなかった。